+教室連絡先
ロゴ
浜松市細江町中川
nerio@nerio.jp
+Facebookフォロー
+nerio先生の本棚
+OTHERS

無料ブログ作成サービス JUGEM

paperboy&co.
RSS 1.0
ATOM  0.3
<< June 2016 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - | pookmark
サイトが移転しました
音楽教室ミューレ

新サイトとブログ
日々の様子を写真付でご紹介するFacebookページ
| おしらせ | 22:36 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark
サイトを移行していきます
ミューレの新しいサイトができました。
ブログ記事なども少しずつ移行していきます。

→こちらをごらん下さいませ
| おしらせ | 00:29 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark
我が子を誉める責任

誉められることに慣れていない子が多くいます。


なぜかというと、日本の教育界に根強い「みんな同じ」というベースがあるために、「自分だけが特別」ということに居心地の悪さを感じてしまうからだと思います。誰かが誉められるということは、誰かが落とされるということ。だから、「そうではないよ」ということを伝えるために、大人は、誰かを誉めると必ずそれ以外の子のことも「誉めなくてはいけない」と思っていて、平均値を取るくせがあるように思います。


誉める側に、誰かを誉めたら別な子をフォローするくせがついている。結局、それが、知らず知らずのうちに「みんな同じ」という概念を植え付けることになっていて、「誉めっぱなし」にされることに子どもが慣れない。誉められて居心地が悪い思いをしていては、自分の得意なことを認めて高めてアピールしていくことができるはずもありません。


親として、我が子を誉めるとき、なんとなく、自分の方が優位に立っていて、上から認めてやるというか、評価する、というような感覚で捉えているがために、自分に自信のないことは誉められないという枠に囚われていることがあると思います。本当はそうではなくて、親こそ、何も考えずに良いと思うところをとことん良いとバカみたいに言ってやればいいのではないでしょうか。子どもは、半分は「親バカだなぁ。」と冷静に判断しつつ、それでも、心の奥に自信としてしっかりと根が貼っていくのだと思います。


親が子どもを誉めるということは、私は、ひとつには親としての責任があると思います。子どもの長所や得意なことを見つけてあげて、自信を付けさせ、最終的には「その部分を使って社会へ貢献していくんだよ。」というところまで教える責任です。「この子は、こういう特性がありますから、どうぞ、社会で活用してください。」という推薦文を添えて、社会へ出していく。そこまで面倒を見なくてはいけないと思います。


だから、上から目線で「認めてやる」とか「誉めてやる」とか、そういうことではなくて、何としても社会に役立つ長所を見つけて、本人が躊躇せずに活かし切る土台を作って、いざというときにはスパッと気持ちよく、「はい、自分は得意ですから、それはやります。」と手を挙げられるように育てる必要があると思います。そういう使命で親は子を誉めるのだから、謙遜している場合ではないと思います。


私の経験では、子どもが9才か10才になるころには、具体的に「あなたはこういう特性があるから、こういうことを積極的にやらないといけないよ。」と指南していいと思います。「えー、嫌だ。」と言ったら、「嫌だと言っている場合じゃない。」と言っていいと思います。だって、親なんだから。遠慮してる場合じゃないです。

| - | 01:51 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark
新しいサイトと無料体験レッスンのお知らせ
音楽教室ミューレのサイトができました。
こちらからどうぞ

また、2015年度無料体験レッスンのおしらせ、お申し込みはこちらからどうぞ。
| 無料体験レッスン | 01:32 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark
うまくやるのは・・・
今日、おさんぽリトミックのとき、すごく素敵な表情で楽しんでくれてる子がいて、「あぁ、この子の心の中に、音楽の灯火がほんわかと灯っているんだな・・・。できる限り、ていねいに弾いたり歌ったりしなくちゃ。」と気を引き締めてレッスンした。

そしたら、レッスンが終わったときに、その子とママが近づいて来られたので、「いつも楽しんでる」ってことを知らせてくれるのかと思ったら、ママが、ちょっとだけ涙ぐみながら、「恥ずかしがりやで全然離れなくて、4月から幼稚園なのに、大丈夫かなって・・・。」と心配そうに言われたので、本当にビックリした。

100人いたら100通りの悩みがあるんだな。
やんちゃで言うこと聞かなくて、集中しなくて、ちゃんとやらなくて・・・っていう悩みばかりじゃなくて。

それで、私なりの経験から「大丈夫よ。」とお話して、ある考えを述べたのだけど、これは、おさんぽリトミックのブログに書いて一般論みたいに思われてしまうとまずいので、こちらに好き勝手に書きます。

私は、子どもが心から人との関わりを実感して、自分の行動によって人の心が良い方にも悪い方にも動く、ということを本当に理解するのは、早くても4才くらいからだと思っている。
その前の年齢でも、「ごめんね。」って言ったり、「ありがとう。」って言ったり、「かわいそう。」って思ったり、手を貸したり、人との関わりは無くはない。
でも、まずは、大人の真似をして、「こういうときは、ごめんねって言うものよ。」ってことを教わって、言ってみたらコトが解決した、というような実体験を積み重ねているに過ぎないと思う。
本当の意味で、ママとの心理的な分離ができて、「自分はひとりの人間であって、自分の行動が他人に影響している」ということを体感して、自分の行動を自ら決断して意図的に人との関わりを実践するのはもっと先だと思う。

だから、入園前の時期に人との関わりを恐れて恥ずかしがっているのか、全然人見知りもせずに関わっていくのか、それは、人間としての「思いやり」だとか「コミュニケーション能力」だとかには関係ないと思う。
持って生まれた性質、というだけで。

しかも、4才を過ぎたから、じゃあ、今日から急にできるようになるのかというと、そうではなくて、4才になってようやくスタート地点に立って、そこから何をどう経験して、どういう速度でどんな風に成長していくのか、それも個人差がある。

幼稚園生活が半分過ぎた頃にようやく「さてと。」とスタート地点に立つのに、入園したときに既にコミュニケーションできるかどうかなんて、評価も判断もできないと思う。
そもそも、集団というものを体験して練習し「始める」のが幼稚園なのだから。

だけど、もしかしたら、入園早々に、活発で積極的な子が好みの先生に当たって、「あなたのお子さんはお友達と関わることができません。」と言われることも、残念ながら、「無い。」とは言い切れない。

そんなとき、「うまくやる」のは子どもではなく、親だと私は思います。

先生は、何らかの使命感で指摘をしているのかもしれないけど、その子の一生がどうか、という視点で考えられるのは親なんだから、生まれてからずーっと育てて来て、「この子は恥ずかしがりや」って分かっている自分に自信を持って、「そうですよ、急には変わりませんよ。」って思っていればいいのであって、ずっと育てて来たにも関わらず、ほんの一瞬を切り取って「問題です!」って指摘されたことに急にビクビクする必要なんかないと思う。

「そうですよね〜。」ってニコニコと返事して、流しておいて、自分は「20才になったときのこの子はどうか。」っていうことを真摯に考えていればいいと思う。
3才のときに上手に立ち回ってて、20才になったときに人を傷つけ放題、やりたい放題の子って、い〜〜〜っぱいいると思いませんか?
そのときにベースになっているのは、親が認めて受け入れてくれたかどうかであって、1年間のお付き合いの先生に指摘されて直したからってことはないと思う。

先生は先生で、「この一年をしっかり見てあげよう。」という親切な気持ちで「この先困るかもよ。」って思ってるんだから、「そんな風にこの子のことを考えてくれてありがとうございます。それも一理あるかもしれませんね。」って心で思って、「その通りですね〜、しっかり見ていこうと思います〜。」って言ってればいいと思う。

世の中の先生がた、ほんとにごめんなさい。

0才から中学生になるまで、小学生からお母さんになるまで、1人の子をずーっと継続して見守った私は、そんな風に思ってしまいます。
3才のときに言われたことが、そのまんま、15才まで問題であり続ける子って、1人も見たこと無いですよ。
逆に、3才のとき、「なんの問題も無い」って言われた子が、その先おやおや・・・ってことになる、そっちのケースはいっぱい見たことがあります。
| 教育のこと | 17:45 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark
発表会のお知らせ
子どもの澄んだ歌声と、ていねいなピアノの音色に癒されに来ませんか?
ピアノと映像の共演もお楽しみいただけます。

Flugel 翼の音楽会 2014
「雪」

2014年12月23日(火・祝)
12:30 開場
13:00 開演

13:00 第一部〈かわいい音楽家〉
小1〜小4 歌とピアノのソロ演奏

14:30 〈雪〉講師演奏、アナと雪の女王
映像とピアノ即興演奏とドビュッシー
アナと雪の女王(歌、ピアノ)

15:00 第二部〈ハーモニー〉
小5〜 ピアノ演奏、歌、ギター、フルート演奏

入場無料
駐車場無料
親子席あります
会場内は飲食禁止です。

どなたもお越しいただけます。
リトミックを経験した子たちのピアノ演奏と歌をぜひお聞きください。
| おしらせ | 07:13 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark
1回目から上げていく
パフォーマンスクラスのレッスン。

発表会で歌う歌の練習をした。
先日のリハーサルに来られなかった子が多かったクラスなので、メンタル面での出遅れが心配だった。
がっつり、上げていかなくては・・・と思って、どんな言葉で喝を入れようか、シャワーを浴びながらセリフを言ってみたりした。

もう思春期の子たちなので、「さぁ、歌うよ。」と言っても、フニャフニャ、ヘラヘラと、照れ隠ししながら手加減して歌うと思って、「一回目から気合い入れた演奏ができなくてどうする!本番は一回目だよ。」ということを今日は強く教えようと思っていた。

そしたら・・・、

IMG_3120.png

どしょっぱつから、すごい上げっぷり。
お見事。
言うことがない。
迫り来る表現力。

お説教しか用意してなくて、ほんと、ごめんなさい。

鎌田先生も、伴奏にすごく熱が入ったのが分かった。
「これは応えなくては!」って思って弾いたのが良く分かった。
伴奏っていうより、競演って感じ。

「1回目で手を抜くな。」と言おうと思っていたのに、1回目からものすご〜く良くて、ただ、唯一、「それは教室サイズでの表現だから、壬生ホールの大きさをイメージして、ホール中に響かせて。」と言ったら、2回目はさらに良くなった。
イメージだけで一気に空間を広げて、表現の幅を変えられるのは、さすがだな、と思った。

これは・・・、かなり期待できる仕上がりだと思います。
楽しみにしててください。
| レッスンの様子 | 00:15 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark
友だちの歌
昨日、ピアノ発表会のリハ後、はじめてのリトミックレッスンだった。

小4トリオのモエモカリーノがやってきて、「先生、お願いがある!ヒナコハちゃんの歌、もう一度聴かせて!お願い!!」と言うので、「なんで?」って聞いたら、「本当にすごかった!」とのこと。

ヒナコハはキョトンとしながら、リクエストに答えて歌った。
モエモカリーノだけじゃなく、ピアノの発表会に出ない子たち(感心の無さそうな男子も)も、「すごくきれいな声だった・・・。」と感想を言っていた。

ヒナちゃんはすっごく誇らしそうにドヤ顔。
コハちゃんは、今現在の興味はそこにはなく、床に寝そべって移動をする、という謎の行動に夢中で、どうとも思ってない感じ。
2人が全然違うキャラで、声も何もかも違うのに、それが呼応し合って1曲になってるから、すごく惹かれる、って、聴いた大人が言っていた。
モエモカリーノは「外国の子どもみたい・・・。」と、英語を絶賛していた。

ヒナコハの歌が上手ということはさておき、それだけ誉められても、「嬉しい」という感情は自分のものであって、誰かと比べて自分の方がすごい、という感じがまったくなく、さわやかな喜び方をしているのがすごいな、と思った。

それにも増して、自分だって出演するのに、本番前に、人の演目を心から絶賛できるモエモカリーノもすごいな、と思った。
私は、他の子の演奏がすごく上手だったら、自分がすごく焦ったり、負けたような気持ちになったりして、あんなに素直に褒め言葉を口にできなかったと思う。
| レッスンの様子 | 07:34 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark
音楽の仕上がり
リハでみんなの演奏を聴いて感じたこと。

どの子も赤ちゃんの頃からリトミックを教えてるような子たちなので、ひとりひとりが奏でるピアノを初めて聴いて、しっかりと個性が出ていながら、それでいて、「この子がこんなことまでできるようになったの?!」って、感心して、親バカになったりした。

こないだの5月から始めたばかりの子も、「ただ弾きました」って感じじゃなく、ピアニスティックに、ちゃんと楽器を理解して、音楽を理解して弾いてる感じがする。

技術的にも、ポジションも移動してるし、指くぐりもしてるし、強弱もついてるし、そもそも、あんなにたくさんある鍵盤の中から、ちゃんとお目当ての鍵盤を探し当てて、小さな体を体重移動して弾いてる姿、ただそれだけで感動した。
あんなに小さかった子がなぁ・・・。

・・・じーん・・・。

それは、ひとえに、鎌田先生の指導の賜物だな、と思った。

IMG_3109.jpg
私が歌を教えている、ヒナコハというユニットがいるんだけど、その子たちの発表をしたとき、「あー、いつもより声が出てないなー。」と思って伴奏をしていた。
そしたら、曲が終わった瞬間に、鎌田先生をはじめ、みんなが「うわぁっ!」って感動の拍手をしてくれた。

私は、一瞬、「へっ?」と思って、すぐに、「しまった!!」と反省した。

「指導する」ってことに慣れ過ぎちゃって、「自分がここまで教えてやらせた」っていう、なんか、自分主体の考えになってしまって、「いつもの方が声が出てる」とか余計なことを思ってしまっていた。
曲にも慣れちゃって、感動が薄れていた。

それより、今日初めてヒナコハの歌を聴いた人たちは、「どんな指導か」は問題じゃなくて、「どんな音楽か」を聴いてるんだった。
主体は発表する子どもで、もう、やるだけのことは教えたんだから、あとは、子ども自身がどう料理してどう表現するか、それどう感じていただくか、でしかないんだった。

発表したものは、もう、指導者の手は離れ、子ども自身の分身なんだな。

終わったあと、鎌田先生と「自分の担当の生徒は厳しく粗さがしをしてしまってダメだね・・・。」とお互いに反省した。
子育てと同じ。
生徒を、自分の「作品」みたいに思っちゃって、自分の評価に繋がると思ってしまうと、ほんと、ダメだと思う。
そういうことは、もっと別なところで、日々、指導者として精進する努力をしなくちゃいけないのであって、子どもに結果を求めてはダメだ。
もっと、暖かい気持ちで、奏でる音楽を楽しませてもらわなきゃ。

本番は、ただのファンとして、子どもの音楽を楽しみたいなぁと思った。
| 教育のこと | 11:33 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark
のろいの言葉
教室で、発表会のリハーサル(弾き合い)を行った。

最初に、これだけは今日、しっかりと言っておこうと思ったことをふたつ、話した。

発表会に出演するのは当たり前ではないということ。
自分の人生にとって、何を優先するのか、自分で選ぶということ。


何が当たり前じゃないのか、子どもたちと一緒に考えた。
すると、

・親が送り迎えしてくれる
・親がお金を出してくれる
・大きなホールが使える
・スタッフの人たちが働いてくれる
・親にお弁当を作ってもらえる
・遠くから聴きに来てくれる
・習ってるから出られる

などが挙がった。

分かってるんじゃん・・・、でも、ありがたく出演できることを忘れて、「え〜〜っ。」「嫌だ〜〜〜。」なんていう「のろいの言葉」を気軽に口にしてたよね、先生は、その態度がここんとこ、すごく気になってたよ。

もうひとつ、小4以上の子は、こういう貴重な「当たり前ではない」機会の大切さを理解して、他にやりたいことや用事があっても、優先するということをそろそろ覚えて欲しい、と話した。
これからの人生、もっともっと、頭を悩ませる選択肢が出てくる。
どっちもやりたい、ということが。
そのときに何を基準に選ぶかというと、最終的には、「自分で選ぶ」しかない。
そのために、大きな視点を持って、自分の人生において何が大事か、選びとる練習をしなくちゃいけない。
発表会やリハっていうのは、その、ひとつの大きな練習の場になるんだよ、と。

何が正解っていうのは無いんだけど、やっぱり、「一般的なものさし」に安心せずに、親も子も、「自分はどうなの?」ということを、一生懸命考え、その結果、何かに立ち向かうことになるなら、それもやるしかない、と私は思う。
そして、今、選択を間違えたとしても、「合っているかどうか」が問題なのではなく、「自分で選んだかどうか」「その結果、どうなったかを体感したかどうか」が問題なのだと思う。

親は、「目先の楽しさに惑わされていないか」「大きな視点を持つとはどういうことか」というアドバイスをするといいと思う。

子どもたちには、「自分で選んで、なぜそうなのか、親に話しなさい。」と言った。
その選択肢が気に入らなかったとして、よく、「じゃあ、勝手に自分で言えば?」なんて、実質、選択肢を取り上げる脅迫をしてしまうことがあるけど、それは、自分も含めて、気をつけなくちゃいけないことだと思う。
いくら自分で決めたとはいえ、親が口添えして断る必要もあるだろう。

あくまでも「口添え」だけど。


その2点を話したうえで、これから本番まで、「のろいの言葉」を禁句とした。
「え〜〜〜。」「できなぁ〜〜い。」「わかんなぁ〜〜い。」「はずかしい〜〜〜。」・・・これらが「のろいの言葉」
こんな言葉を自分の口から吐くってことは、いちばん近くで耳に入るのは自分だから、それが全部のろいとなって、一歩ずつ、失敗への道を進んでいく。
それは、支えてくれている人たちに本当に失礼だから、今さら、そういうことを言ったり、今日のリハで何が問題なのか振り返って努力しようとしなかったりするのなら、もう出なくていい、とまで言った。
子どもたちがピリッとなる。

もしも、親から「そんなんじゃ間違えるよ!」「もっと練習しなきゃダメなんじゃないの?!」「また間違えてる!!」「先生になんて言われたか忘れたの?!」なんて余計なことを言われたら、とても冷静に、

「あのね、そういう言葉は「のろいの言葉」なの。
それを言われることで、一歩ずつ、着実に失敗への道を進んでしまうの。
私は、成功への道を進みたくて努力をしているんだから、本番まで「のろいの言葉」は言わないでくれる?」


と言いなさい、と教えた。
| 教育のこと | 10:55 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark